19世紀のドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェが提示した「価値転換」をご存じだろうか。ニーチェは、他者を悪者にし、否定し、自分を肯定しようとする反動的な思考を批判した。それよりもむしろ、ひとつのものを肯定することで、新しい独自の価値を創造できると考えた。それは現代のイノベーションにも通じる思想だ。デザインの力をつかって現代の価値転換、つまりイノベーションを起こしているのが、佐藤可士和氏だ。佐藤氏の創造性について、京都大学経営管理大学院で「文化の経営学」を専門とする山内裕教授との対談を通じて読み解く。(構成:森旭彦)

「デザインの力をつかって現代の価値転換、つまりイノベーションを起こしているのが、佐藤可士和氏だ」と山内教授は語る。

19世紀のドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェ。「ニヒリズム」すなわち“虚無主義”による現代批判でその名を知られることが多い。山内教授による佐藤可士和氏の読み解きは、まさかのニーチェに及ぶ。

ニーチェは、他者を悪者にし、否定し、自分を肯定しようとする当時の反動的な思考を批判した。それよりもむしろ、ひとつのものを肯定することで、新しい独自の価値を創造できると考えた。「価値転換」と呼ばれるニーチェの思想は、現代のイノベーションにも通じる。

山内裕(以下、山内):ニーチェは反動的な思考を批判しました。否定からは何も生まれない、肯定する「価値転換」をしなければならないと。可士和さんはいろいろお聞きしていると、普通では肯定しないものを肯定する。ひょっとして、超人ですか?

佐藤可士和(以下、佐藤):山内先生に言われて「僕はニーチェだったんだ」と思いましたが(笑)、否定しないというのは重要ですね。

たとえばユニクロは大量生産です。たとえハンドメイドが価値が高いからといって、今からハンドメイドのアパレルメーカーのような打ち出しに変えるというのは間違っていると思います。大量生産のいいところを際立たせる方向性を打ち出すべきだと考えていて、そうして本来の強みを確信したり、輝かせたりと、その価値の転換をするためにクリエイティブやデザインがあるわけです。

ニーチェは、ユダヤ・キリスト教を、他者を否定することで自分を正当化する反動的な価値基準だと批判した。反動は復讐心に燃えた他者の否定だから、新しい価値を生み出さない。あげくの果てには、罪の概念を作り出し、「私のせいだ」と自分を責める。このように生を否定することでは、価値は生まれない。

そうではなく、自分を肯定できる強さを持った「超人」となること、すなわち価値転換を主張した。

たとえば価値転換の考え方を現代的に解釈すれば、イノベーションの考え方に置き換えることができる。価値とは、何がよくて、何が悪いのかを指し示すもの。イノベーションとは、既存の価値における優劣を競うことではなく、新しい価値基準を示すものであり、価値転換である。

価値転換をブランディングに置き換えてみよう。ブランディングは、何かを「良い」と言う行為だ。ここで、既存の価値基準で「劣っているのに良い」(なのによい)と言うのは凡庸なブランディングだと言える。しかし、価値基準を示す(だから、よい)に転換することができれば、これは革新的なブランディングになると言えるだろう。

凡庸なブランディングなら、ユニクロは「ユニクロなのによい」ということを打ち出すことになっていたかもしれない。例えば、「安いのに高品質」などだ。これは否定して価値を示そうとしている。それを佐藤氏は、「ユニクロだからよい」へと価値転換した。

さらに現代では、一般的に大量生産を全面に押し出すようなデザインを、企業が採用するのは難しい。多くの場合、丁寧に作っている、品質にこだわっているという見せ方をするものだ。佐藤氏は、ユニクロの持つ大量生産のよさを、純粋に反復されるロゴで表現した。当時、重い本物を身につける姿がクールではないという感覚が生まれつつあり、大量生産で作られるベーシックな服をセンスよく着こなす姿がエリートの価値観になりつつあったからだ。

佐藤氏のデザインには、ニーチェの価値転換が基本にある。KIRINの発泡酒『極生』では「発泡酒なのにいい」から「発泡酒だからいい」だった。そして今治タオルでは「白だけじゃない」から「白だからよい」という方向性を打ち出してきた。佐藤氏は、これらの価値転換をどのように成し遂げてきたのだろうか?

山内:ニーチェは「神は死んだ」と言いました。近代では神に頼れなくなってニヒリズムに陥るのですが、それでも何らかの超越的な真理に頼ろうとするんです。サイコロをふってよくない目が出ると、次は出るに違いないともう1回ふろうとする。たとえよくない目でも1回のひとふりを肯定するのは難しいのです。ふつうだとネガティブに見えるものを価値転換していく大胆さ、これはまさに超人、可士和さんのスタンスですよね。

佐藤:徹底的にこだわっているのは、視点ですね。ブランドというものは非常に有機的なものです。社会風潮もどんどん変化していきます。まるでサーフィンのように社会の風潮に乗りながら、ブランドがもっともよく見える視点を探っていくのがクリエイティブディレクターとしての仕事です。そして、デザインや言葉などのクリエイティブを総動員して、その視点から見てもらえるように誘導するのです。

たとえば発泡酒って、当時は「薄い」とかビールより安いことだけが取り柄のように言われていたんですよ。でも実際は、軽やかな味わいで、重たいビールにはない飲みやすさがある。その魅力を切り出すためにもっとも有効なブランディングとデザインをしていく。

今治タオルでは、安心・安全・高品質を表現するために白いタオルだった。白いタオルは、粗品を想起させるので、ブランドにはならないと思われていたんです。水の美味しさを味わうときに、いきなりコーヒーにしてもかえってわからなくなる。タオルのよさを表現するには基準となる白がいいと考えたのです。

ブランドがもっともよく見える視点というのは、もっとも正確に伝わる視点ということかもしれないですね。

佐藤氏がデザインを含むクリエイションに向かうとき、「自分を透明にしようとしている」という。彼にとって創造とは、自分の内面から湧き上がる何かではないということだ。つまり創造性は、自分をできるだけ透明にし、「社会をよく見る」ことから生まれるのだ。

佐藤:僕のブランディングって、クラスにいる友達を、それぞれがよく見えるようにするようなものです。たとえば、小学校のクラスメイトっていろんな子がいますよね。スポーツが得意だったり、勉強が得意だったり。でも、なんでも得意な子ってなかなかいないですよね。勉強が得意でも、図工は苦手だったり。スポーツは得意でも、音楽は嫌いだったり。それらを良い悪いではなくて、ひとりの個性として思い切り伸ばすことが、ブランディングなんだと思います。案外、子どものときのような素直な感覚でやってるんです。