人類の営みが、地球環境に不可逆的な影響を与える時代、「人新世(じんしんせい/ひとしんせい)」。人新世において、人類はどのように社会や文化を築けば良いのか。どのようにしてこれまでの経済的成長とは異なる成長を模索すべきか。現在、産業界を含め議論が活発化しつつある。今回は、「ひとつの未来」から脱する方法を探り、その思考実験としての実践として、アートの可能性を探る。京都工芸繊維大学の水野大二郎教授、そしてアーティストの長谷川愛氏(京都工芸繊維大学デザイン主導未来工学センターKYOTO Design Lab特任研究員)に聞く。(構成: 森旭彦)
「ひとつの世界」で「ひとつの未来」だけを見て生きてきた
2021年のノーベル物理学賞は、人新世を生きる人類が直面する、地球の気候の未来を正確に予測する研究に贈られました。米国プリンストン大学の真鍋淑郎博士ほかによって開発された「気候モデル」は、これから人類が直面する気候変動をシミュレーションする上で欠かすことのできないものです。
今後、産業はもちろん、私たちの生活に至る人類のさまざまな社会活動は、目に見えて気候変動のシミュレーションに基づいて制約を受けていきます。まるで天気予報に合わせてその日の活動を変えるように、私たちの社会は気候変動のシミュレーションに合わせ、これまでの経済的成長とは違う形で豊かさを追い求めていかざるを得ないのかもしません。
では、どうやって? 私たちにはまだ、その代案もなければ、考え方そのものもありません。
この世界には、世界がひとつしかない(one-word world)。
例えば私たちは今、西洋中心主義的なグローバル経済の勝者が撒き散らした、単一のイデオロギーに支配されている世界に暮らしています。ひとつの世界で、ひとつの未来だけを見ているわけです。
そうした世界はひとつの考え方に根ざしているため、気候変動やパンデミックなど、予測しづらい問題の影響で芋づる式に崩れてしまうという潜在的な脆さを抱えています
と水野大二郎教授は話します。
トンガは「ひとつの未来」の縮図
水野教授は、人新世における自己批判の対象に、私たちが当たり前のように見てきた「ひとつの未来」を位置づけます。そしてひとつの未来に偏った社会の脆さについて、2022年1月15日に大規模な海底火山の噴火によって甚大な被害に見舞われたトンガ王国を例に挙げます。
火山の噴火でトンガ王国は大きな被害を受けました。そしてその被害は、トンガ王国がグローバル貿易に過度に依存していたことによって、経済的基盤に回復困難なダメージを与えています。島国であるトンガ王国は、取引を行う船が島々を行き交うことによって成立するグローバル経済の一部に位置づけられていました。原住民の暮らしに根ざした地域経済が衰退し、多様性が少ない状態だったわけです。そこに噴火と津波が一気に襲ったことで、文字通りすべてが崩れ去りました。これはまさに、グローバル経済というひとつの世界の、ひとつの未来だけで成り立つ社会の脆さを象徴する一例だと思います 水野
そして水野教授は、「ひとつの未来」から脱する方法をタスマニアで思索するデザイン思想家、トニー・フライによる言葉を引用し、「脱未来」と呼びます。
脱未来(defuturing)は、我々から望ましい未来を奪う持続不能な状態を指します。ひいては、みなで持続不可能だがこれまでよりよいとされたひとつの未来に向かうのをやめ、複数形の未来へ向かおうということです。みなが西洋中心主義的なグローバル経済や近代的開発プロジェクトの先にある、同じようなよりよい未来を見なくてもいい。未来を、文化的多様性が保たれた地域単位で見るためにはどうすればいいのか、と考えること。西洋中心主義的な単数形の未来から、文化的多様性を持つ複数形の未来へ移行しようという考えが脱未来の言葉の背後にあります 水野
脱未来に対峙するにはアート的妄想が必要?
しかし複数形の未来を見る、というのはどういった感覚なのでしょうか?
実際、私たちは今ある枠組みの外に出て考えることが苦手なものです。しかし、そうした枠組みの外に出ること、さらに言えば、枠組みを「宙吊り」にしてみせることを仕事にしている人々がいます。
アーティストです。次のアート作品を見てみてください。
『私はイルカを産みたい…(I wanna deliver a dolphin)』
この作品がテーマとしているのは、人間が代理出産でイルカを産むことです。
「女性が子どもを産む、ということは、社会では当たり前だと思われているところがあります。でも、観察してみると、現代では『子どもがほしいのか?』という一見単純そうな問いにも深い悩み、ジレンマが隠れているものです。
たとえば女性は、『これ以上地球に人間が必要なのか?』と問うこともできます。さらに、『明るい未来が見えない中で人間を生み、育てていくことは、本当に嬉しいことなのか?』というジレンマはもう少し身近なものかもしれません。
ひとりの女性として、自分はどう在るのが嬉しいのか、と考えたときに、私はスキューバダイビングするのも好きなのですが、『絶滅危惧種の代理母になったらいいのではないか?』と考えたことがこの作品を制作するきっかけになりました」と、アーティストの長谷川愛氏は話します。
同作品は、長谷川氏が2012年にイギリス・ロンドンの美術大学院大学Royal College of Art、Design Interactions科で制作したもののスピンオフです。絶滅の危機に瀕している種(たとえばサメ、マグロ、イルカ等)を人間が代理出産することの潜在的可能性を提示することを通し、80億人に迫る世界人口と、潜在的食物不足に直面する現在の状況下における人間の出産について批判的に考察した作品です。
「これからの未来を、在る種の自己批判をもってつくっていくときに求められるのは、妄想する力、そして個人の痛みをテクノロジーによって開放していく力」と長谷川氏は話します。
たとえば差別の是正には、優位性を持つ人々(たとえばフェミニズムの観点で言えば白人の男性)の自己批判を促す必要があります。しかし、優位な立場いるにも関わらず、それほど利益を得ていないと認識している人が自己批判をするのは難しいことです。むしろそうした人が、出口のない自己批判に社会的にさらされると、何も良い解決に至らないことが多い。さらには、真に是正したいことから批判の論点がズレて受け取られてしまい、より深い分断につながる場合があります。こうした悪循環を断ち切るために、たとえばヨーロッパなどで用いられている『交差性』(性差や人種の違いなど、さまざまな属性が交差することでもたらされる差別を理解するための考え方)のような概念を用いて社会議論を整理し直し、しかるべきところで制度で線を引くことが試みられるべきと思います 長谷川
人類が人間中心主義に対し、健全な自己批判をするということは、難しいことです。大切なことは、自己批判の考え方そのものを破壊してしまわないことなのでしょう。それこそが「ひとつの未来」から脱する唯一の方法なのかもしれません。