歴史的なイノベーションとして、引用されることの多いスターバックス。しかし、スターバックスがなぜ、コーヒーの新しい歴史をつくることができたのかについては、あまり知られていない。Kyoto Creative Assemblageは、歴史的なイノベーションをケーススタディとして取り上げ、新しい世界観をつくるための手がかりを得る。いわばイノベーションの“探偵”業務こそがそのミッションだ。今回は、多くの大学の教壇に立つ『探偵!ナイトスクープ』初代探偵・越前屋俵太氏(京都大学経営管理大学院研究員)と、京都大学経営管理大学院で「文化の経営学」を専門とする山内裕教授が、スターバックスの歴史的成功を調査する。その成功は、人々の潜在ニーズを満たしたからではなく、社会の変化を嗅ぎ取り、新しい時代を表現したからだった。

第一の成功:スターバックスの誕生前夜に起きた“コーヒーの革命”

山内裕(以下、山内):スターバックスがなぜ成功したのかが、わりと誤解されているんじゃないかと思うんです。たとえば、よく聞くのが「美味しいコーヒーを提供したから」、あるいは「サードプレイスをつくったから」というものです。

越前屋俵太(以下、越前屋):サードプレイスーー「3つ目の場所」って、そもそもどういう場所なんです?

山内:人生のうちで多くの時間を過ごす1つ目の居場所である「家」や、2つ目の居場所である「職場」でもない、人がパーソナルな時間を過ごせる「3つ目の場所」とい意味です。でも、スターバックスが爆発的に成功した80年代後半のアメリカを見渡してみると、すでに美味しいコーヒーを出す店や、サードプレイスを提供する店はたくさんあったわけです。

越前屋:なるほど。つまり、なぜその中でスターバックスだけが突出したのか? その説明になっていないってことですね。

山内:そうです。この問題を紐解いていくために、まずスターバックスの誕生前夜を見てみましょう。

スターバックスは1971年に、ジェリー・ボールドウィン、ゴードン・バウカー、ゼブ・シーゲルという3人の起業家によって、シアトルで開業します。このスターバックス誕生の数年前のアメリカで「スペシャルティ・コーヒー」の革命が起きていたのです。スペシャルティ・コーヒーとは、選びぬかれた豆と焙煎方法にこだわった、美味しいコーヒーのことです。その火付け役となったのがアルフレッド・ピートという人でした。彼は1966年にカリフォルニア州の都市、バークレーに「Peet's Coffee & Tea」という店を開きます。

すでに当時のアメリカにコーヒーはたくさんありました。しかし、どれも、とても不味かった。小麦が入っていたりして、今から考えれば飲めたものじゃなかったのです。そんなコーヒーを、スーパーマーケットで購入し、家で淹れて飲んでいたのです

ピートさんはインドネシアなど、海外で過ごした経験を持っていたことから、アメリカのコーヒーの不味さと、世界の本当に美味しいコーヒーの味を誰よりも熟知していました。そこで彼は、世界中からコーヒー豆を仕入れ、自分でこだわった焙煎をして売り始めたのです。これがスペシャルティ・コーヒー・ブームの始まりだったわけです。

ピートさんのコーヒーに感銘を受けた若者が当時たくさんいたわけです。そのうちのひとりが、後にシアトルで誕生することになるスターバックスの創業者だったのです。

越前屋:なるほど。つまりスターバックスは、ピートさんのスペシャルティ・コーヒーを見つけて、コピーして、シアトルではじめたというわけですね?

山内:それがスターバックスの第一の成功ということです。

何者でもない若者を変えた、一杯のコーヒー

山内:正確には、スターバックスはピート氏の指導を受け、シアトルで複数の店舗を開いて拡大し、成功を収めていきます。しかし、この当時のスターバックスは、私たちの知っているものとは全然違います。そもそもスターバックスはカフェとしてコーヒーを提供していなかったのです。

越前屋:えっ?

山内:もともとはコーヒー豆を売る店だったんですよ。

越前屋:現在のようなカフェじゃなかったんですね。

山内:ピートさんのPeet's Coffee & Teaも、スペシャルティ・コーヒーの豆を提供しているお店で、カフェではありません。では、なぜスターバックスコーヒー、そしてピートさんのPeet's Coffee & Teaは成功したのか? それは60年代という時代とバークレーという場所が深く関係しています。

越前屋:60年代というと、音楽だとビートルズが出てきて、ヒッピーがブームになった。時代が変わりつつあることをありありと感じられる時代ですよね。

山内:その通り。60年代は劇的に社会が変化した時代でした。ヒッピーも重要ですが、60年代後半のアメリカは、戦後生まれのベビーブーマーの多くが大学に行くようになったという、大きな変化があった時代なんです。

以前の世代は大学に行くと、いい教育を受けることができ、エリートになれるという道筋があった。持つものと持たざるものがもっと明確な時代だったのです。しかし同じような境遇の若者であふれていたベビーブーマーの世代が一斉に大学に入ったら、自分たちのアイデンティティに問題をかかえるようになったわけです。

越前屋:ある種のエリート意識を持った親が生んだ子どもたちが大量に大学に殺到したとき、自分が大勢のうちのひとりにすぎないってことに気づくわけですね。「自分は自分である」という感覚が薄れていった時代であり、世界中で若い人たちが悩みはじめたと。

山内:1968年5月にはじまる世界的な学生運動や労働者のゼネストは、労働者の職場環境の改善の要求というよりも、このベビーブーマーのアイデンティティに関する不安が根底にあったと考えられます。60年代に盛りあがったフェミニズムやアフリカ系の人々の公民権運動は、同じように旧来の社会のシステムに対する不満が原因です。

越前屋:自分たちの個性を表現をする方法がなくなって、世界中でさまざまな運動が起きたわけですね。

スターバックスは、歴史をつくるイノベーションだった

山内:そういうことです。再び「バークレー」という場所について話を戻しましょう。

アメリカで学生運動が花開いたのが、バークレーなのです。バークレーのとなりのサンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区は、資本主義社会に変わる新しい社会システムを実験した場として知られています。それが1967年の社会現象「サマー・オブ・ラブ」です。

このとき、全米からヘイト・アシュベリーに、ヒッピーと呼ばれた若者、それにあこがれた若者が集まりました。バークレーは大学の街でもあることから、サマー・オブ・ラブに触発された学生が中心となって独自の文化を形成していきます。メインカルチャーへの反発、「カウンターカルチャー」です。つまり、バークレーやサンフランシスコは、60年代の文化の最先端になったのです。そこにピートさんのスペシャルティ・コーヒーが登場し、豆の産地や焙煎にこだわったコーヒーが若者にヒットしたのです。

ピートさんが提供したのは、単においしいコーヒーというわけではありません。物質ではなく、文化的に洗練されているということを自分のアイデンティティとすることが、若者にとって、最先端の自己表現だったのです。

越前屋:なるほど、一杯のコーヒーだったけれど、その価値を知ることで自分たちのことを主張できるようになったわけですね。

山内:それまでの世代の若者は、大学に行ってエリートになり、いい仕事を見つけて郊外に大きな家を持ち、大きな車に乗ることで充実を感じることができました。しかしベビーブーマーはそれで自分を表現することができなかったのです。そのときにピートさんのコーヒーが登場し、若者がコーヒーの味の違いがわかるということ、コーヒーのような嗜好品にこだわるというライフスタイルを実践することで自己表現をすることができるようになったのです。

そうして工場で生産されたものではなく、自然の産物であるコーヒーの素晴しさにより、資本主義のシステムに異議申し立てをするという体験・主張も重なるわけです。ヒッピーが、自然の中にコミューンを作り、自給自足で生活をしていたのもそのためです。ヒッピーのひとりスティーブ・ジョブズがハマっていた、『ホール・アース・カタログ』が当時の自給自足のためのバイブルだったわけです。

ちなみに、同じくバークレーで1971年にアリス・ウォータースが開店した、シェ・パニースというレストランがローカルな野菜を使い、素材のよさを生かしたカリフォルニア料理の革命を起こしますが、同じイデオロギーが背景にあります。

スターバックスの第一の成功、それはまさにピートさんの成功ですが、それは新しい時代を表現したことです。それが当時の人々に自分を表現する手段を与えました。スターバックスは単なるコーヒーブームではなく、歴史をつくるイノベーションを起こした企業だったのです。